Hindy Quest

はじめてのたたかい

小選挙区制度

サンプロで、衆議院選挙の分析をやっていた。

無党派層が最後の一週間に民主党に流れ込む動きがみられたそうだ。
その時点では民主党の優勢と政権交代が確実な情勢は報道されていたから、「結果を明白にしよう」というように動いたようだ。思えば、前回もそんな感じだったな。

さらに「民主党に期待する」としながら「自民党に立ち直ってほしい」とも考えている人がすくなくとも有権者の4割はいる。

一昨年の参議院選挙後の「大連立構想」のときも国民は反対していた。やはり国民は2大政党制を望んでいるのだ。

小選挙区制だと2大政党になる」のではなく、「国民が2大政党制を望んでいるから小選挙区制がふさわしい」ということなのだろう。

関ヶ原で決めよう!」というような民族的幻想がそこに横たわっているように思う。危機の時には、そういった形でうかびあがってくるのだろう。

選挙結果

事前に予測がかなり正確にでていたので、驚くところはすくない。
公明党小選挙区で全敗したのはおどろいたが。ぜひ、詳細を知りたい。
中選挙区時代の常識をひきずっている人がまだまだ多いなか、すでに小選挙区では2大選挙協力連合に集約されている。結果からはっきりわかる例外は2箇所しかない。小選挙区だけをみると日本はすでに2大政党制になっている。

民主と自民の大半の候補者にとって比例区は重複立候補によって小選挙区の滑り止めのためにあるような制度になっている。
公明と共産は比例区でのみ生き残っている。
この辺が中選挙区制度のなごりのような形になっている。
ただ、小選挙区だけで、はっきり勝負がついてしまうので、徐々に比例区は削減へと向かうだろう。責任ある意思決定に国民が耐えられるのかどうかは別にして。

わかっていたこととはいえ、都市部での自民の負け方がすごいな。
田舎専門の政党を目指しているのだろうか。

テクニカルコミュニケーション

 情報デザインか、理解を促進するための、図解か、マニュアル作成か。
 私は今、テクニカルコミュニケーションの課題の入り口にたっている。
 再びかえってきたとも思う。

選挙とは何か

選挙で民主党が勝ちそうだという予測がたっていて、政権交代を折込んだ動きの週になってきた。節目ということなので、時流に流された議論ではなく、考えをはっきりさせておくのが吉。下に書いているのは特別な内容ではないので、念のため。

  1. 私は選挙の応援をする場合は、候補者の応援しかしない。政党の応援はしません。候補者が何党であるかはどうでもいい。衆議院における比例区なんて早くなくなってほしい。衆議院においては完全小選挙区制度が正しいと考えます。特定分野だけをあつかってことたれりとする参議院とかならともかく、全体をあつかう衆議院においては「過半数を獲得しようとしない=そもそも無責任でいい」を容認するような選挙制度はおかしいです。少数グループの利害代表ばかり集まってもまともな議論はできません。全体にたいして責任を負うという確認のために49パーセントの死に票をつくるのです。
  2. 政党とは選挙協力のための制度です。小選挙区である以上、表面上にミニ政党がいろいろでてきても、選挙協力によって実質的に2大政党体制になっていきます。しかしそれぞれの内部は思想的にはばらばらです。主義主張ではなく単なる選挙協力ですから。一つの主張で完全にまとめようとすると永遠に政権をとれません。
  3. ゆえに政権の正統性は主義主張の正しさによって担保されるものではなく、もちろん49パーセントの死に票を作る選挙で選ばれたからでもなく、「4年後には政権交代によって放逐される可能性があること」にのみ基づきます。

選挙とは例大祭に他ならない。

ネットワーク

ネットワークというのは冗長である。
冗長さのコストを超えるメリットがあるから価値がある。

  • リスクの分散によって、致命的打撃を避ける。
  • バックアップコピーをもつことで、一部が崩壊しても他がカバーする。

メリットを生かすには崩壊した部分が早く復帰することである。
ところが、どんな種類のネットワークでも人間が関与するので別の面がある。
人間は精神的ピットインに入っている時間が長い。技術的・制度的なものだけではその時間を短くするのには不足だ。技術や制度や組織は実存とは関係ないからだ。完成は実存にとっては死も同然。
常にネットワークを生かしてものごとをすすめて行くことの可能性を追求し続ける必然性がここにある。

前島密は最近の日本史教科書にはでてこないのか

山川出版の日本史Bをパラパラめくってたら前島密が載ってなかった。
大変だあ。破壊者や支配者、抵抗者だけでなく、システムを構築するタイプの英雄も教育には必要でしょう。何で抜けてるんだ?