「保守」とは何か

「保守」っていってもメンテナンスのことじゃないです。政治的概念の「保守」について考えることになった経緯についての長い話です。

 この項しばらく「書きかけ」です

発端

  ポリティカルコンパスが話題になったことでいろいろな問題が蒸し返されてきた気がする。
 ずっと問題だったのに放置されていたのが、「右」とか「左」とか「保守」とか「革新」とかいう政治用語が全然意味をなさないってこと。だって日常会話では「一番保守的で頑固で変化しない政党ってどこ」って聞けば「共産党」って返ってくるだろ。そういえばソ連崩壊の時に田原総一郎が「今の状況は右が左で左が右なんんだ」とかなんとか言っていたのを思い出すが。
現実に自分の学生時代のことを振り返っても「右」「左」なんて論争は全くなかった、「文化」と「宗教」の議論はたくさんあったけどね。

ネット右翼現象

 ここ数年「ネット右翼現象」が広がっていた。
 ターゲットは「中道左派」である。
 「中道左派」とは「革命」による「階級のない社会」の実現をもはや信じなくなった左翼のことである。「革命」を否定しているため、当然体制内で、ある特定の階層のための活動となる。代表的には労働組合主義だ。
 特定の利益集団の代表としての中道左派は機能してきた。それはたいしたもんである。でも主張する理念を信じていないことがバレてはもたない。「言論の自由」を主張しながら「言論封殺活動」をしていたり、「人権」
を主張しながら、「拉致被害者の人権」や「チベット人の人権」に話が及ぶと口から泡を吹く。信用する人はいなくなる。
 既得権を握った中道左派の自己欺瞞と矛盾は批判されるべきである。
しかし中道左派的な価値観は現代日本人の思考の土台になっている。だから下記のid:stockさんのような例を我々は笑うことはできない。

皇国史観の私は民主党だったのか?...
#バークシャー年次報告書2004年 - 資産運用ぶつぶツラボラトワール(創刊10年目以上継続中)

しかもネット右翼

基本的に、中道左派的な価値観を元に行動している
http://mitsu.cocolog-nifty.com/blog/2005/02/post_8.html

中道左派の価値観を持った人々が、中道左派の総本山を攻撃する
基本的な価値観を同じくするために議論は白熱し、掲示板・ブログが激しく「炎上」することとなる。

ではポリティカルコンパスはどうなっている

 このような状況を整理することができるかどうか、まずは使ってみよう。
ポリティカルコンパスの結果をみてわけわかんなくならないように解説を試みる。
ポリティカルコンパスでの政治的立場の座標軸は
「自由と平等のどちらに重きをおくか」
「家族と個人のどちらに重きをおくか」
の二つである。
 「平等=大きな政府=左派」「自由=小さな政府=右派」というのがポリティカルコンパスの書き方です。大きな政府というのは経済的平等を実現するためですから。この定義では国防軍備力増強を唱えるのは当然「左派」になります。軍事ケインズ主義ですけどね。
 ここでは「家族=保守」「個人=リベラル」ということです。
いわゆる右翼は「保守左派」にはいり「ネット右翼」は「リベラル左派」だとおもいます。ホリエモンは多分「リベラル右派」、堅実な中小企業経営者は「保守右派」かな。
 いままで使ってきた言葉がずいぶんいい加減だったことがわかる。

「保守」=「伝統」?@Wikipedia

 上で述べたとおり、ポリティカルコンパスでの「保守」の定義は
保守 - Wikipediaに書かれている定義とは全く違う。Wikipediaの書き方では「保守」を「伝統を重視する考え方」としている。「保守」は何と対立しているわけでもない。対立する相手はその「伝統」にもとずいて決まる。「保守」は現状維持を求めると書いておきながら、現状が伝統的価値観を保持していない場合急激な変革をとることも「保守」だというのだ。これは実に言葉の意味を破壊する書き方である。
 つまり外側から書いているだけである。「思想としての保守」とかいてあるが、実のところ「保守」を「思想」とはみていない。議論そのものが存在していない。引きこもりの人間が外の世界を語るやりかたになっている。

レッテルとしての「保守」

 政治は言葉の駆け引きが大事である。よって単なるレッテルとしての「保守」もあるだろう。Wikipediaの定義をよく読むとそうなる。
 保守層について分析している部分を読んでみても、これでは毛沢東主義を支持しているネパールの農村や、政治に変化を求めている日本の財界も「2・26事件」も分析できない。これではつかえない。WikiPediaに書いた人はその辺を反省してほしい。

「保守」=「メンテナンス」?

 「保守」とは特定の価値観ではないのだろうか。「保守=メンテナンス」である。保守と革新・進歩主義との間の議論は「ねえもうそろそろパソコン買い換えようよ」「いやお金がないから保守しながらつかうしかないんだよ」という議論だと見る立場である。これは言葉としては有効に使えるが、これは思想的立場ではない。

家族の価値

 これは整理しなければならんと保守系団体のサイトを巡ってみて、はっきりするのは保守というのは80%はやはり「個人より家族の価値を大切にする」という軸でむすびついていることがわかる。他の政策や意見は「家族の価値」から派生した枝である。
だが「自由か平等か」については決まっていない。ポリティカルコンパスの分析は有効なんだ。農村社会主義っぽい「平等」に軸足をおいている人も経済自由化推進派という「自由」の方に軸足を置いている人のどっちが保守?右翼?。 個人を家族から切り離した先に「絶対神」などの概念がない以上、近代化が終われば、「家族の価値」に帰ってくるのは自然だが、これはニヒリズムの防波堤としては完全ではない。なぜなら死は個人的だからだ。そこからやっと大好きな宗教の話である。
 「自由」も「平等」もヨーロッパのキリスト教の下地の上に成り立った概念なので結局宗教抜きに議論はできない。
 「死」の話は重要だが、今は他に面白いネタがたくさんあるので、私が鬱になった時にやりたいです。ん、変ですか?

結論

 というわけで、「保守」とは何かは、まだわかりません。