Hindy Quest

はじめてのたたかい

鬼滅の刃と障害者とLGBT

じゃあ、今日のもう一つのブログのネタとして今流行っている「鬼滅の刃」について書いておこうかなと思います。

鬼滅の刃」が流行ってるって話を最初に聞いたの去年のどっかだと思うんですけど。
特に見てはいなかったんですが。年末に休暇に入ってネットで一気見したんですね、まとめて。
どこだったか忘れましたけど、配信サイトでいっぺんに見ました。一気に見れるぐらいの面白はあって、非常に綺麗に作ってあって、手を抜いたって感じなかったし、非常に楽しみましたね。

その時もいくつか何か思うところがあって、荒木飛呂彦の「ジョジョの奇妙な冒険」の影響とかね。あとなんとかね「るろうに剣心」みたいな時代設定もや犬夜叉的な感じのところ

でもアニメを見て、その続きの漫画を追っかけるかって言うと、それはしなかったですね。 単行本買うとかしなくて、同じ作者の短編集っていうのが出てたので、また作者に興味があったって感じで、それを買いまして。「鬼滅の刃」の元になった話「過狩り狩り」っていうのがこの短編集に載ってるんですけれども。それを読んだんですね。他の短編も読んだんですけど、他は基本舞台は現代で、直接「鬼滅の刃」に関係するかな、みたいな話はすぐには見えないですけど。「過狩り狩り」の方はもう本当に「鬼滅の刃」の世界観とかなり共通していて、共通の登場人物も約2名ぐらいいたりとかしまして。インパクトかあったんですね。どんなインパクトかって、まず話が。わかんないんですよね、5-6回読み返さないと。読み返してみると、これはアニメでやってる7-8話分ぐらいですか。単行本数冊ぶんぐらいの内容が30ページぐらいにまとめられていて 、詰め込み方が尋常じゃないんですね。もちろん説明文が長く書いてあるわけじゃなくて、絵で語ってるわけなんですけれども。それだけ構成もこだわって作ってある。凝縮された作品を、わかりやすく何巻にも広げたというのは、ジャンプ編集部がそれだけコンサルティングみたいなことをしたんだなっていうのは誰が見ても分かりますよね

であと今回のブームの前ですけども。今年の春頃に漫画の「鬼滅の刃」が連載終了してまして。最終決戦っていう時期に入ってるって言うのちょっと聞きつけましてすね。
途中を全然読んでおらず、ストーリー知らないのに、最初の方のアニメの知識だけでその毎週連載されるジャンプの最終決戦を読んだんですね。10話ぐらいあるんですかね。私はそのそういうドラマでもね途中から読み始めて途中で終わったりとかですね。最初と最後だけ読むとかですね。全部見る事にこだわらないので。途中が抜けてたら嫌だとかっていうのあんまないんで。途中だけ読んでこの先や前はどうなってんのかとか、適当に想像しながら読むっていう、ちょっといびつな楽しみ方をしていまして。途中2巻だけ手元にあったりすることよくあって。他は入手不可能みたいなことあって。そういうのって全部揃えて、今だと大人買いすれば全部揃うじゃないかとは思うし、一気見すればいいじゃないかって思うんですけど。必ずしもそれができるわけじゃないし、それをやるって言う のがめんどくさいって。基本的にコレクションしなきゃなんないっていう義務があるじゃないか。別に取っとくっていうか買えとかいうことじゃなくて、毎週毎週連載を読まなきゃいけない、ドラマを見なきゃいけない、とかって。最初から最後までやるのは仕事だけで、十分。エンターテイメントなんだから、別に最初か最後とか途中だとか、自分の好きな時にやらしてくれよ、っていう気がしてるんで。そういうふうに考えてるので、全部見なくてもいい。どっちかって言うとその関係ない裏話とか適当に読んだりとか、途中から読み始めて途中で終わるとか。人生なんて途中で始まって途中で終わるもんなんですよだいたい。とかって思ってるんでそんなの適当に。作者が一生懸命作ってるんだから、見る側も一生懸命見ろよっていうのあるかもしれないですけど。それも一つの楽しみ方として許してほしいなと 。

まあそんなんで最終決戦の10話ぐらいかとかを読みまして。でまあ色々思うところを書きとめとこうかなと思っています 。

短編集の方から話をスタートするのが一番いいと思うんですけど。短編集に入ってる「過狩り狩り」っていう30ページ程の作品の主人公は、そもそも両目が見えなくて片腕。もう思いっきり身体障害者。作者があとがきかなんかで、障害があってもめちゃめちゃ強い剣士を書きたかった、みたいなこと書いてあるんですけど。もうちょっと手加減にしろよってね。剣士なんだから。この設定、「どろろ」とか思い出しますよね。障害者がめっちゃ強い。ちょっとね普通じゃないですけどね。

それが「鬼滅の刃」のルーツなんですけど。「鬼滅の刃」の主人公って別に障害者じゃない。ジャンプの編集者が、こういう暗い主人公じゃ少年漫画として難しいので、「過狩り狩り」のワールドの中に「その他の登場人物いませんか」と、聞いていくと、竈門炭治郎というキャラクターがいて、この子はこういう子でっていうの聞いて、それで「これは主人公になるキャラクターじゃないか、その子を中心に書いてみてください」みたいな感じでスタートしたっていうことなんですけども。これ良いコンサルティングだと思うんですが。ちょっと気になる点が。竈門炭治郎に別に障害はない。目が見えないとか耳が聞こえない、手がないとか足がないとかは全部ない。全部 OK 。痣が付いてたりとかっていうのはするんだけれども、全然五体満足のね。元気な元気な少年なんですよ。

なんか気がつきません。 アニメ見た人、漫画読んだ人。 一緒に連れてる禰豆子ちゃんっていう鬼にされちゃった妹がいるじゃないですか。普通はそのその子を人間に戻すために旅をしながら戦ってる、みたいな感じであらすじに書いてある。けど禰豆子ちゃんってほとんど障害者ですよね。昼間は籠ってというかランドセルの中に入ってんですよね。 炭治郎の後ろで、ちっちゃくなってるんですけど。歩けない何も一人でできない。目も見えてないわけですよ箱の中にいるから音しか聞こえないわけでしょ 。口聞けないでしょ。なんでか知らないけど。禰豆子ちゃんは 。

昼間何してるかってと、炭治郎の世話になり、介護してもらってる。要介護等級が高そうな障害者状態な人に完全になってます。夜になるとムクムクムクッとか出てきちゃってめっちゃ強いって言う。 「過狩り狩り」っていうその短編集の元になった話のそのままの設定ですよね。
この表現の進化は上手いよね。やっぱ可愛い女の子の方法が受けがいいです。暗い青年の障害者の「過狩り狩り」と表現しようとする内容は全く同じですよね。障害がめちゃめちゃきついのに異常に強いって言う 。

だからここには障害者が隠れてるっていう風に言うと変な顔されたりもするんですけど。別に全然変じゃないですよ。作者自身が表現したいって言って書いている内容をそのまんまの禰豆子ちゃんじゃないすか。

でもう一つ、その禰豆子ちゃん、ちっちゃくなって炭治郎兄ちゃんのランドセルに入ってってるんですけど。ずっと一緒になってるんで、体の一部なんでしょう。ランドセル背負ってるって言うのはガンダムみたいな感じですけど。そういう格好ですから、二人で一人でしたね。でも二人で一人っていうのよくあるんですけど。目玉おやじの「おい鬼太郎」みたいな感じで。そこの構造がなかなか興味深くて、二重人格ともまた違うのかもしれないけど。炭治郎、男の子なのに中から出てくるのは女なんですよ。 しかもそっちの方が強いですから。ものすごく強くなってるわけで、一番強いのは自分の中にいる女の子ってやつ 。

これ 思いっきり主人公の中にLGBT の話入ってますね。
体は男の子で、一生懸命、男になろう、男になろうとするわけでしょう。長男だから、男なんだからこうしなきゃみたいなところがあって。
その中から女の子の人ぴょこぴょこって出てくるって設定面白くないですか。男になろうとしてるのにピンチになると女が出てくる。

ほんとそれ面白いなと思ってドキドキします。急に大きくなって。メルモちゃんみたいにスルスルってでかくなるわけですから。妹っていうことになってるんですけど。ちっちゃい子が入ってる。それがでかくなるんでセクシーなんです。そこって別に炭治郎は妹に対して性的興味を覚えてとかそういうことじゃないでしょ。彼女的な意識でもないと。単に自分が守らなきゃっていう妹として捉えてるんですけど。よくよく客観的に見てくると男のなかからセクシー美女が出てくるって言う。しかも強力な。男らしくやろうとか、長男だからとか言ってる割に、言えば言うほどそこからぴょこんと出てくる女の子、目立っちゃうよ。兄妹が一緒に戦っているって言う設定ですけど、キャラクターとして2人で1人だし。どちらも作者の分身として主人公合体してるわけです。これもうだから LGBT と障害者のメタファーがそのままキャラクターとして造形されているっていう事になるんじゃないかなって思うわけです。

おーすごいな。それはやはり現代的な主人公の設定だなっていうふうにそれ以上に思いました。あまりこういう風な話、聞かないし。そのままの兄一人だったら全然真面目なだけだしね。あえて長男だからとか、言わせてんですよ、作者は。そういう、男らしく生きなきゃみたいなプレッシャーを炭治郎にガンガンガンガン与えると、ぴょこんと女の禰豆子が出てくる。わざとやってんですよこれ明らかに 。「鬼滅の刃」の作者は女性だっていうことなんですけども。
かなりこの辺はこう LGBT 的な概念を表現してるなーって思いました。他に 一緒に戦う仲間ってんでイノシシの皮をかぶったイケメンの青年がいるけど。これもよく LGBT で出てくるパターン 。自分がイケメンであるがゆえに、イケメンであることが嫌いみたいな感じの。 外でわざとそういう風に。 かぶっているんですね。よくいますよねこういう人 。
それを逆に照らし出すように、もう一人善逸っていう女と見れば寄っていくっていうステレオタイプをかなり出してますよね。照らし出すようにその表現というかそこに焦点が合うように、その LGBT 的な課題に焦点が合うように他のキャラクター設定もつながってるんですよ。だから掘っていくと一人の人間の中に男性的な部分女性的な部分が当然あって、それが社会の色んな欲といますかプレッシャーによって、こっちにしなきゃ、こっちにしようとかっていう圧力はあるんだけれども。
現実にはその圧力に全て合わすことができなくて、壊れてぴょこんと出てくる、みたいなところをこう表現しているっていう。思いっきり途中の話を見てないので、鬼殺隊のいろんな柱のそれぞれのエピソードとかっていうのはほとんどみてないので、これが「鬼滅の刃」の本質だって言うつもりも全くないんですけども。少なくとも主人公とその最初の仲間たちのキャラクター造形の中にはそこら辺のことが表現されています。

ここまで強烈に表現されているので、もう誰か気づいてこういう論文書いたりするのかもしれないですけど。もうちょっとここで記しておくにはちょうどいいのかなって思いましたので、今日のブログの記事とさせていただきました。
では 。