文明の衝突と金融中心的世界観
ハンティントンがなくなった。
彼の宗教は知らないが謹んでご冥福を祈りたい。
「文明の衝突」という議論は2回ブームになった。
発表後すぐと同時多発テロの直後だ。
最初のブームはまじめなものだったが2回目はギャグだった。
ハンティントンのはじめた議論は大雑把でいい加減な議論だったが、こういうのは議論を投げかけること自体に意味があるので、別に気にしていなかった。フクヤマの「歴史の終わり」ではうまく説明できない地域紛争の多発とかを説明しようという大胆な試みだった。
発表後すぐ、クリントン政権の外交に影響を与えたが、結局政治的にはブレジンスキーに敗れたんだと理解している。
私は、結論部で予想されているイスラムと儒教文明が共同でアメリカに襲い掛かってくるイメージがどこからくるのかが気になった。
イスラム系と中華系との対立の解消のためにはウルトラCがたくさん必要だ。
いったいどんなアホな奴があの仲の悪い連中を組ませることが簡単に可能だなんて考えたんだろう?
逆にそれができればアメリカを倒して世界征服が可能かも知れないというのか?
世界征服をたくらむ私は思い余って、イスラムの教義に従い「豚とアルコールを完全に排除した中華料理」を探してマレーシアをさまよった。
気がつくとクアラルンプールの金融街にたどりついていた。かの地では金融機関の世界は三つに分類できる。欧米系とイスラム系と中華系に。
ああ、なんて私はばかなのか。
ハンティントンの背後には金融街が見えるじゃないか。このゲームにはプレーヤーは3人しかいない。
文化だとか宗教だとかはあくまでもハンティントンの議論のかざりにすぎない。
中心的な課題はあくまでも金融や、軍事や資源の問題があるだけなのだ。
知識人の議論もスポンサーの顔色をうかがう。
スポンサーが金融なのか軍需産業なのかエネルギー(石油系・原子力系)産業なのか。