日本のリーダーシップ
総理大臣が変わるとかでどたばたしているが、実は誰がリーダーであるかよりももっと重大な問題がある。
それはリーダーシップとは何かという問題だ。
リーダーシップは人の集団に働くメカニズムなんだから、集団の価値観に合っていて、集団から支持されていないリーダーでは意味がない。
ウルトラマンのように宇宙のかなたからやってくるわけではないので、今日のリーダーは常に昨日の同僚だ。
逆に今日の同僚を明日のリーダーにすることでもある。
実際のところリーダーの個人的資質なんかぜんぜん問題ではない。特別な人間なんて必要ない。「救世主」とかは宗教でやることだ。
社会がそれを受け入れるのなら、選挙でなく関が原で戦闘をやって決めたっていいんだ。
アメリカ大統領選挙が優れているなあと思ったのは、約2年かけておこなわれる選挙を通じて、国民にリーダーシップというものをよく考えさせていることだ。連邦制なので、多くの候補者が州知事というミニ大統領を経験してきていることも大きい。このプロセスの値打ちに比べれば、大統領が誰になるかなんて小さいことだ。
「アメリカ大統領とその政府」に匹敵するのは、日本語では「征夷大将軍と幕府」しかない。今、「日本の政府」というのは「日本の官僚機構」というのとほとんど同じことだ。「総理大臣」ではまったく名誉職にしかならない。