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現代日本の分析

 この場合、必要とされるのは合目的的な組織の意思決定ではなく、積極的あるいは消極的な民衆の支持と、それに裏打ちされたメディア的価値の促進であり、目立つ過程で彼らがどのような意思や目的を持っていたかは何ら考慮する必要がないのである。

 全く関係なくドラッカーを読み進めていたのだが、切込隊長のブログで、
現代日本にあてはまる点を教えてもらった。
 隊長が最前線にいってしまって留守の間に、やっておくべきことがありそうだ。
上記の論考は誤解されそうなタイトルだが、よく読めばこれは「ライブドア批判」ではなく、社会現象としての共通の症状からみて、現代社会の問題をえぐりだそうとしているのだ。
 ドラッカーによれば

 ファシズムは積極的な信条を持たず、専ら他の信条を攻撃し、排斥し、否定する。
(中略)
 ファシズムへの参加は、積極的な信条に代わるものとしてファシズムの約束を信じるためではなく、まさにそれを信じないがゆえに行われる。
「経済人」の終わり―全体主義はなぜ生まれたか - はてなキーワードP14

 意味がわかるだろうか。思想・信条の表明がなく、現在の秩序の否定しか主張がなく、矛盾していてもかまわないというのだ。しかもそれが大衆に熱狂的に支持されたのだ。
 たまたまフジテレビがターゲットになっただけで、大衆にとっては別に何でも良かったのだ。 まあナチスにくらべればはるかに症状が軽いですが。
 やっぱ隊長鋭いなあ。

 現代社会に「問題がある」ことは誰にでも分かっている。皆それで騒いでいるのだ。ところが「問題が何か」はほとんどの人が意識していない。一足とびに「あいつらが悪い」とか言うだけである。問題の分析ができないからだ。
切込隊長は(当然だが)このことにはっきりと気づいている。
 日本語で「何が問題なのか」というフレーズがそのまま反語として「問題なんか存在しない」という意味になっている。ここの分析をしないと、議論でなくただの喧嘩になってしまう。
「問題があることが分かる」のと「問題が何なのか認識できる」というのは全然違う。この二つの区別がついていないことほど重要な問題はない。
 社会構造の話をしているのではない。自分の脳の話をしているのだ。「問題があると分かる」のは脳が「不快」な信号を受け取っている状態だ。だから問題はテレビの画面や政治や教育とかではなく、自分の脳で起こっているんだ。そこまでたどりついてはじめて「問題が何なのか認識できる」。その前に騒いでも無駄。問題を悪化させるだけ、座禅でも組むしかない。
 切込隊長が書いている内容がわかっただろうか。彼にはオウムやライブドアなんかどうでもいいのだ。もっと根源的な問題に触れている。それは「展望を持たない大衆の不満」というやつである。この単語を見た瞬間、「隊長はつらい体験をしてきているのだなあ」ことが見える。育ちのよさも同時に見て取れる。ドラッカーは非常に近い文脈で政治用語として「大衆の絶望」という言葉を使ったが、彼はオーストリアの高級官僚の家庭に生まれ育ちながらユダヤ人としてナチスに追われた体験を持つ。