Hindy Quest

はじめてのたたかい

ネパールの地勢と国際関係(要約)

 ネパールの幹線道路は漢字の「工」という字の形のようになっていて、上辺はカトマンズとポカラを結ぶ幹線で、上辺右端はチベットへと繋がり、上辺左端は行き止まり。下辺は「タライ平原」と呼ばれておりインドのウッタラ・プラデーシュやビハール州に接している。このネパール南部の道路に沿って数多くの戦闘がおこっている。タライ平原というのは、ユーラシア全体からみれば、ヒマラヤのすそ野だし、インドからみればガンガー支流の台地にすぎない。首都カトマンズすらまともに掌握できていないネパール軍が単独で、広大なタライ平原でのマオイストとの内戦を互角以上に戦っているとはとても信じられない。インドの軍事援助というのが政府軍の実体ではないか。
 ネパールは山岳国家なので「面」の支配というのはもともと、まったく存在していない。幹線から離れた町はほとんどが空港のみの拠点で「線」の支配どころか「点」の支配しかしていない。多数の言語を異にする少数民族からなりたっており、民族と宗教、カーストの差別構造からくる対立などがあり、ネパール・ナショナリズムが機能しているとはいえない。英語圏の建前を一歩はなれるとそこは地主制と家父長制が支配する封建社会の構造をとる。近代国家としての土台はあまりない。
 そのネパールが独立を保ってられたのは中国とインドとの緩衝地帯として国際政治上設定されていたからである。インドは南アジアの地域覇権国家であり、周辺諸国を一種の「属国」と捉らえており、そのためインド軍はスリランカブータンバングラデッシュカシミール等で軍事活動をしている。中国も東アジアの地域覇権国である。中国とインドがお互いに牽制しあってくれるので、ネパールは独立を保っていられる。
 そのバランスが崩れてきた。アメリカがチベット問題を棚上げし、中国とインドとの間の(お互いの影響力に関する)取り決めが成り立つことで、ネパールはインド化への進むことが決定的になった。ネパール人としてのアイデンティティはインドに飲み込まれまいとして緊張して抵抗している。マオイストはその表れだろう。今のネパールの不幸は「経済発展=インド化」だということに尽きる。このまま経済発展を優先して考えてもネパールの社会は崩壊してしまう。「非インド的」経済発展の道を見せなきゃならない。ならここで日本人の役割もあることになる。