世界史的に見た国松長官狙撃事件

国松長官狙撃事件の容疑者が逮捕された。そう、あの年1995年。もう一つ謎の事件が起こっていた。
5月8日、テレサテンがタイのチェンマイで謎の急死したのだった。この事件には中国の工作員による暗殺説がつきまとう。その時のチェンマイ警察が現在のタイ首相タークシンの影響下にあったのだとすると、チェンマイ客家出身でタイと中国との関係を強化しつつあるタークシンの出世にはこの事件のことが影響しているのではないか。タイをはじめ東南アジア諸国が中国の顔色を伺うようになったのは97年のアジア危機をきっかけとしているが、台湾の広告塔であり、ヨーロッパにかくまわれていたテレサテンはすでに95年当時、「反米ユーラシア連合」の成立を目指すヨーロッパにとって不要な存在になっていたのではないか。
あの頃は「アメリカの次の敵は中国」という感じだった。そこでヨーロッパはアメリカと対抗するために、うまく中国を仲間に引きずり込んでいこうとしていたのだった。フランスと中国との間で何度も首脳が相互訪問とかしていたと記憶している。要するにテレサテンは売られたのだ。
 98年ごろから東南アジアで中国語ブームがおき、2000年タイで親中タークシン政権が成立する。東南アジアもソ連帝国の遺産の継承戦争をしながら、「反米ユーラシア連合」に組み込まれていこうとしていたわけだ。遺産がどんなものかは想像するしかないが、アジアに根を張ったKGBなどのネットワークが持っていた情報もそのひとつだろう。北朝鮮はこの継承戦争でミサイルや核兵器の技術を奪取し、「反米ユーラシア連合」における高い国際的ポジションを要求したのだった。狙撃された国松長官は北朝鮮の国際謀略活動とぶつかっていたわけで、つまり北朝鮮がヨーロッパに向けて「日本はうちの縄張りだからね」と主張したのがこの狙撃事件の背景だ。事件後、国松長官はヨーロッパ勤務となった。当然といえばあまりにも当然だ。