言語学はなぜつまらないのか。

 言語学に興味を持った時期がある。ところが、つまらない。理由は簡単だ。言語学が文字というものを全く無視しているからだ。ヨーロッパで発展した言語学は「キリスト教聖書研究」の一部であるか「世界はアーリア人が支配すべき」というイデオロギーの一部にすぎない。どのみち表音文字オンリーの世界なのだ。漢字・ひらがな・カタカナ・ABCが入り乱れる日本語を使って生きてきた人々の素朴な疑問に答えられない。我々は漢字という「表意文字」を使っている。漢字がないと困るのだ。そして「ひらがな」や「カタカナ」もないと困るのだ。われわれは日常的に文字の問題にぶつかる。つまり我々日本語を話す人々の世界では言語の問題は音声よりもまず文字の問題として現れてくる。音声の方が言語としては本源的であるかもしれない(確かに耳は感覚器官のなかではもっとも体外に突き出ている)が、そのことは自明とはされていない。われわれは視覚優位の文化の中に住んでいるのだ。視覚優位の世界を解体することなしに音声中心の世界観を語っても、通用しない。「日本語ブーム」「トンパ文字ブーム」が来るほどに人々の関心が高まっているにも関わらず言語学者に準備はできていない。