エントロピーとか複雑性とかカオスの話

芥川賞作家保坂和志による「羽生ー21世紀の将棋」という本を読んだ。
まあ、立ち読みでも読めるぐらいの、軽い語り口だが、楽しんで読めたよ。
将棋ファン以外の人に、羽生がたどりついた世界を紹介しようという試みで、科学書ならブルーバックスとかにありそうな本だ。(将棋に興味をもっていない)普通の人が常識と思っていることを、いかに羽生がひっくり返してきたかが、丁寧に描かれている。(もちろんそのプロセスで将棋界の常識をも突き破ってきてわけだが)
個人的には羽生の将棋観が、現代哲学や現代生物学の世界観と、どう呼応=関係するのかについてもう少し、突っ込んでほしかったが。一般向けの本としては、いいのではないかと思う。
すでに5年が経っているので、作者の理解も深まっているのだろうから(羽生もその間にチェスをさすようになっているし)、続編に期待したい。

とうわけで、今日のネタは、朝日出版社保坂和志「羽生ー21世紀の将棋」を参考文献にいたします。

本当はまずここで世代論をしたい。羽生世代は、将棋界のなかでも、新人類だったり定跡オタクだったり、将棋の研究にコンピュータを駆使しだしたなわけで、ベテランをなぎ倒して実力者となったわけだが、上の世代にまったく理解されていない。
実は40代以上のベテランの棋士って、現代将棋の解説がもうできていない。ここにはとてつもなくすごい断絶があるんだ。
例えば「横歩取り85飛」という戦型があるが。昔ながらの将棋を知っているベテランにとって怖い戦型だ。
「「昔」は将棋といえば矢倉とかねえ。。。」とTVでベテランの解説者がしみじみ言っていた。この「昔」は5年ほど前のことだから、将棋の変化の速さがわかるだろう。

これはTVに外国人タレントがあふれてい、街中にも外国人があふれているのに似た状況だ。エイリアンだらけ。
将棋であれ、チェスであれ、碁であれ、その中に実に深くて豊かな世界を含んでいる。
数学のなかでも数論なども、現実の世界に有用でないにも関わらず、はまったら抜け出られない。脳のなかの迷宮である。

だが、それを受け入れる人間の方に免疫がなければ、定跡は、発展しない。
人間は、情報を受け止める枠を作らなければ、そもそも高すぎる情報のエントロピーを受け止めることができない。ベテランであればあるほど、今までの常識の通用しない未知の戦法を「怖い」というだろう。
だが、われわれの世代は、そもそも、そういう世界に育ってしまった。情報が多すぎて、つぎはぎを当てているだけでは追いつかず。何かに集中すればするほど、異質なものにであい、カオスが切り結び、整理のつかない状況が、数秒ごとに立ち現れ、美意識が破壊され、ウイルスがあふれる世界。
エイリアン、怪物、モンスター、それらがすべて文化的美意識を切り刻んでいく。
その状況に羽生は「将棋の結論が知りたい」という気持ちが強いから、適応できた。
ベテランが忌避する不自然で病的な戦型を積極的に開拓してきた。
羽生のように好奇心が導きの光になるのだろうか。いや、そうでなければならないはずだ。